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昔話はネガティブ思考

光陰矢の如し

中高年になると年月の経過がとにかく早い。
でも、これは単に毎日がバタバタしている内に時間が過ぎ去ったというだけではなさそうだ。

なぜなら10代、20代の頃はあまり意識しないのに歳を重ねるごとに強く感じるようになるからだ。

その理由を考えてみた。

 

過去を振り返るからだ。

 

アルバムや古い日記、ホームビデオを見て過去に想いを馳せたりするのは30歳を過ぎてアラフォーになると増えてくる。

若いうちは毎日がアクティブに動いて、過ぎ去った時間もまだ短いため過去を振り返る余裕も無ければ興味もない。だが40を過ぎて人生の折返しを迎えると、これまでの人生や思い出を掘り返すようになる。

だから人生残り少ない大半の高齢者は昔話しかできない。

しかし、歳をとっても若々しい人は後ろを振り向かない。常に前進あるのみで思考がポジティブだ。逆に過去に思いを馳せたり、時の早さを感じるなどノスタルジックな気分に陥ると思考がネガティブだといえるかもしれない。

 

「昔は〇〇だった」

若者が年配者と会話をして違和感を感じる言葉に「昔は・・だった」というのがある。

年配者は単に懐かしんだり、教訓として使う訳だが、若者は知らない時代の事を偉そうに聞かされても鬱陶しいだけだ。所謂ジェネレーションギャップをあぶり出したに過ぎない。

若年者と話をしていてこのフレーズが口を衝いてしまったら要注意。
若者と付き合うなら使ってはいけない。

反日反韓で得をするのは誰?

ちょっと政治的な話をしてみる。
不快に思う人はスルーしてくれ。

反韓反日で潤うマスメディア

近頃の日韓のメディアによる反韓、反日報道にはうんざりだ。

恐怖や不安を煽って自己の影響力を誇示するのがマスメディアだが、どれほど耳目を塞いでも吐き気のするニュースが連日視野を占拠するのだから、マジで辟易する。

無知なマイノリティ

少なくとも仕事や個人的に韓国人と関わる機会のある人なら分かると思うが、反韓、反日を声高に叫ぶような連中は互いに少数派で、その大半がメディアでしか相手の国民を知らない人々である。そういった人々を支持母体とする政権がお互いのトップをやっているのだから始末が悪い。

 

人はネガティブに染まりやすい

しかし、こうも連日連夜、やれ不買デモだの慰安婦像だの、徴用工の賠償だのと聞かされると親韓な人ですら嫌な気分になってくるものだ。

人の脳はプラス思考よりマイナス思考に働きやすく、ポジティブな人はネガティブな人に引きずられる。このままやりあっていると国交断絶なんていう愚行も起こりかねない。

そんな事をして誰が得をするのか?誰も得をしない。一部のメディア関係者と政治家を除いて。

 

100年以上は政治的手打ちはない

いじめでは、加害者はさっさと忘れてしまうものだが、された方は何十年も忘れはしない。
いじめっ子は虐めたことなど気にもせず同窓会などで和気あいあいと楽しもうとする。しかし、いじめを受けた側はそれを水に流すどころか、いつか仕返しをしてやろうとさえ思っているものだ。

日韓関係も同じだ。

支配した側は忘れて水に流せと言っても、占領された側はそうはいかない。国家賠償は解決済みと言っても相手の国は軍事独裁政権下で被害者の預かり知らない次元で結ばれたもの。彼らが納得する訳がない。少なくとも戦争経験者とその孫が生きている間は恨み節が消えることはない。しかも、相手は今も若い世代に反日的な教育さえ行っているのだから。

昔、親しくなった自分と同世代の韓国の女の子に言われた言葉がある。
「HIROSANは好きだけど、他の日本人は嫌い」と。

日本人が想像する以上に根深いものがある事をそこで実感した。

世代が移り変わり現在は昔ほどではないにしろ、一度刺激すれば烈火の如く炎上させてしまう。
政治的にはむずかしい国だ。

今まではそれを折込済みで接してきたはずだが、今の政権はキズに塩を塗るのが好きなようだ。国としては条約を結んだのだから払う必要もないのも事実だが、それを振りかざしても炎上するだけだ。

 

キーワードは「華麗にスルー」

ネットの掲示板で流行った言葉に「華麗にスルー」というのがあった。罵詈雑言などノイズが入っても反応せずにスルーすることで場が丸くなる事を意味する。

国家と個人は違う。国家のネガティブなノイズで個人の安寧を壊してはいけない。政治家とマスメディアは己の利益のためにマイナスなノイズで両国民を扇動しないでほしい。
百万世界、星の数ほどあふれる出来事から互いの国民感情を逆撫でする話をわざわざ集めて報道する必要がどこにあるのか。

その意味で意図は違うにせよ、津田大介というジャーナリストがやったことも政府の経済報復と何ら変わらないお騒がせパフォーマンスだ。「表現の自由」を履き違え、正義を勘違いした自己満足野郎である。互いの国民で反日の象徴と認識されているものをあの場に出すことが「表現の自由」?もうアウトだ。貿易上大した問題でも無いのに「ホワイト国除外」って敢えて嫌味を言い放った政府のパフォーマンスと変わらない。

 

とにかく今後は何があってもスルー。静観するのが望ましい。

若者を叩く資格の無い高齢釣り師

人気釣り場「網代」の閉鎖をふり返り

 

人気の網代が釣り禁止になって二年が経つという。

自分が釣りを始めたのは数年前なので一度も行ったことがないのだが、釣り禁止となったいきさつをある釣り場で聞いた。

ゴミを撒き散らすのはどこでもある話だが、深夜に騒いだり、係留してある船舶にいたずらしたりするほか、挙げ句は船外機を盗む輩までいたというから驚きだ。

 

アンタ、それ言う資格ないよ

「外から来た若い連中の仕業で、地元じゃないから汚しても平気なんだ。こっちはいい迷惑でまったくけしからん」

そう嘆く高齢釣り師だったが、その男は釣り場にゴミを捨ててはいなかったものの、釣った外道(アイゴ)を通路に放り投げていた。

 

釣った魚を道端に捨てるのは生命の尊厳を傷つける魚への冒涜である。
生ゴミを捨てることと何ら変わらないし、アイゴは毒針を持つだけに知らない人が踏んだり触ったら大変危険だ。

そんなことも考えない高齢者に若者を悪く言う資格があるのだろうか?

 

正義を語らず道徳を説く

フカセ釣りをしない釣り師は、コマセが臭くて汚いと文句を言う。

確かにこういう後始末をしない輩がいるからフカセ師の評判が悪い訳だが・・・

では石鯛師はゴミを出さないのかと言えばこの有り様。

サザエの貝殻やタバコの吸い殻、ラインの端切れは放置だ。

ついでに言えば、ルアーマンも根掛かりしたルアーや餌木は放置しているし、河川では木々に絡む蜘蛛の巣のようなラインの残骸も酷い。

 

つまり、釣り師はみんな五十歩百歩なのだ。程度の差こそあれ、釣り場の環境を乱していることを皆が自覚しなければならない。互いに叩くのではなく、フォローする気概が必要だろう。

それゆえベテランが無知なビギナーに怒鳴ったり高圧的に文句をつける姿をよく見かけるが、あれは痛い。本人は正義を語っているつもりだが、傍から見れば同類である。

「お前らも散々それをやったんじゃねーの?」と言いたい。

皆がもっと寛容かつ丁寧に粘り強く啓蒙していく必要がある。

 

釣り業界も含めて釣り師の道徳が向上しない限り、同じことが繰り返されて釣り場が閉鎖されていくだろう。